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2005年2月 5日 (土)

下北沢にはもう行かない

3000キロまであと・・・2672.7キロ

050205下北沢なんて、もう何年行っていないだろう。

埼玉の田舎の高校生だった私には、憧れの街だった。
その頃に一度だけひとりで訪れたことがあった。個性的なファッションに身を包んだお姉さんお兄さんの姿に「大人」を感じ、ドキドキしながら雑貨ショップの中を覗いた。

20代。少し演劇の世界に興味を持っていた私は下北沢の小劇場へ足を運んだ。
「ザ・スズナリ」という劇場は当時全席桟敷の自由席で、靴をビニール袋に入れ隣の人と体をくっつけて、ひざを抱えて見た。観劇後、一緒に見た友人と小さな居酒屋に入り、拙い演劇論を交わす一端のアーティスト気取りだった。

それから何年の月日が経ったろうか・・・。
杉並区に住み始め、下北沢はそう遠くない距離になったというのに一度も行っていない。

今夜、友人が下北沢で用事があるというので、それまでの時間を散策してみようかということになった。
自転車で行けば、おそらく30分も掛からず行けるはずだ。
青梅街道、環七、甲州街道を越え、井の頭通りを左折、しばらく走り右折。
懐かしの下北沢へ到着。

当時の面影を残したままのところもあるが、スターバックスが出来ていたり、ユニクロがあったり・・・今時の若者向けに街は変貌していた。
道ゆく若者の年齢層は、私が通った頃と変わらない。
同じように皆個性的なファッションに身を包む。
無国籍風のインテリア雑貨の店、古着屋が並ぶ中、場違いの中年男女がキョロキョロしながら歩く。
当時はどのお店に入っても楽しくて仕方がなかったのに、今はどこにも入る気がしない・・・。

DSC02295「折角だから“これぞ下北!”といった感じの店でお茶を飲もう」ということになったのだが、どこに入っていいのか解らない。
たまたま目に付いた店に入る。

DSC02293DSC02294明るい店内にパンやサンドイッチ、アジア料理の軽食がバイキング形式で並んでいる。
私は「タコライス」と「ミネストローネ」を注文。
プラスチックの食器がチープなお洒落感覚を出そうとしているのであろう。
料理の質よりも見た目の可愛らしさが大事といった感じかな。
下北沢の街は歩いていて決して面白くないわけじゃない。この料理だって不味くはない・・・だけど、もうこの街には縁がないな・・・そう感じた。
取り残されたのか、通り過ぎたのか・・・。
遠い日の忘れ物を取りに来て見つけられなかった・・・そんな気分。

ああセンチメンタル下北沢ポタ。

走行距離 14キロ
走行時間 1時間6分


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コメント

ある時期憧れだった街が、あれれと思えてしまうのは、複雑ですね。

大学時代、京都でアングラ劇をみてたワタシにとっては下北沢は洗練されすぎとりました。
受け入れるには大人になりすぎてたせいもあるだろね(上京時すでに28歳)。

元ダンナは大学卒業後、桑沢デザインに通ってたときに下北沢に住んでたとかで、けっこう案内してくれたんだけどね。
わたしゃぜんぜん受け付けなかった。
猥雑というには小奇麗すぎて。
パーソナルな思い出が何一つないこともあって。

んなわけで、もっぱら食い気の街として認識。
下北=金時寿司でした。
説明できないとこにあるけど行ったらわかる。
回転寿司スタイルの普通の寿司屋。
ネタ大きくておいしいです。

おしゃれな他の店には見向きもせず、
そこしか行ったことがない。

本多劇場とかも、なぜか京大西武講堂と比べて
キレイすぎて近寄れなかった。
比べる物自体が間違ってたし、偏見もいいとこだけど。

 下北沢には1982年~1991年まで住んでました。埼玉から上京してきた高校生のkiraさんを見ているかもしれませんね(笑)。靴下をおみやげにしませんでしたか(爆)。
 当時は仲間が5人住んでいて、その友人たちの合計10人ぐらいで原始共産制みたいな生活をしてました。誰かが金持っていれば飲み食いできる。フロ付きアパートの奴のとこへ入りに行く。夏はクーラーのある奴の部屋へ集まる。そんな生活でした。
 最後は下北のいろいろなお店にやばい思い出を残しすぎたので街を離れました。その後10年は近づかなかった街ですが、最近行ったら、当時の店はほとんどなくなっていて、また歩き回れる街となってました。

▽midoraさん
そっかー。下北沢は「洗練された街」でしたか。
本多劇場は確かに小奇麗で大きな劇場で、ここで小劇団の芝居を見るのは私も抵抗がありました。
やはり芝居は小さな小屋で隣の人と体寄せ合って見るもんです。

あの頃、お気に入りの劇団の芝居を良く見に行っていたんですが、どんどん人気が出てきてしまい、青山円形劇場で公演するまでに成長したとき、嬉しさよりも寂しさの方が大きかったなあ。

下北沢、美味しいもん食べに行くならモチロン行きます(^_^)v

▽米田さん
私が初めて下北沢を訪れたのは17歳のときだから1982年。米田さんを見かけたかもしれませんネエ。ゲタを鳴らして歩いていませんでしたか?(笑)

やばい思い出ってナンでしょう?
どんな学生生活を送っていたのか興味津々。
いつかお逢いしたときにじっくり聞き出そう・・・(^^)

 まー、洗練されているかどうかは知らないけど小洒落た街でしたな。いまはキタナイ(笑)。
 でもってアングラ演劇愛好者なら、「トラブルピーチ」略称「トラピー」なんて店へは行きませんでしたか?
 朝7時までやってますから、午前4時、5時ぐらいから、どこへ飲みに行こうかというとトラピーでした。
 店内はボロく、トイレのカギは壊れてました。和式なんで、女性はしゃがんだまま扉を引っ張って押さえてないといけない店でしたな。
 あとは店内でゴキブリに身体を這いまわれることは毎度のことです。それでも、行く人は行く店でしたな。一時期はマスターに顔覚えられていて難儀しました。それまでの教訓として、いつまでも行きたい店とは懇意にならないことだと悟ったわけですが、向こうが知っていた。
 昨年末に行ったら、まだちゃんと営業中でしたが、すでに年寄りとしては店に入る勇気がありませんでした。20代の若さがないと居られないでしょうね。


> 私が初めて下北沢を訪れたのは17歳のときだから1982年。米田さんを見かけたかもしれませんネエ。ゲタを鳴らして歩いていませんでしたか?(笑)

 ゲタ鳴らして長髪で、ベース抱えて歩いてましたよ。田舎モンの女の子がたくさんくるようになったんで、ケッなんていいながら歩いてました(笑)。ちなみに学生じゃなかったですぞ。
 ある日、起きたらアパートの前の路地で嶋田久作を使ってロケしてたんでビックリしましたけどね。

やばい思い出。思い出したくないけど忘れられない。いまだに悪夢で見ます。身体が弱っているときに見ますな。

私にはアングラを理解するには脳ミソのシワが足りないため、愛好者ではありませんでした。
midora姉さんなら「虎ピー」・・・間違え「トラピー」をご存知かも・・・?ゴキブリに体を這いまわれるのは勘弁・・・(T_T)
今でもあるんですか!

>田舎モンの女の子がたくさんくるようになったんで、ケッなんていいながら歩いてました(笑)。
ゲッ!そういやあの時、怪しげな兄さんにすれ違いザマに「ケッ」と言われたような・・・。

相当やばそうな思い出がおありなんですね(^^)
今頃悪夢にうなされているかも・・・。
しっかり~!!

トラブルピーチを見つけてコメントしてしまいました。20年くらい前1年ほどピーチに居候してました。あれから20年、もうそろそろ50も近いのに相変わらず、昼まで飲んだりしたりしています。

最近は、ピーチの従業員で「電気羊はロックスターの夢を見るか?」というアルバムを出した鈴木羊と、オーナーのナカイとで三人でしゃれでプロジェクトを組んでいます。

花タカシさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。

私はアングラ演劇愛好者じゃなかったのでトラピーは存じ上げませんが、米田師匠はゴキブリとお友達になるほど、通ったらしいです。
もしかして、米田さんと顔見知りだったりするのかなー?

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